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立花家千橘 (4代目) : ウィキペディア日本語版
立花家千橘 (4代目)[4だいめ たちばなや せんきつ]

4代目 立花家 千橘(4だいめ たちばなや せんきつ、1946年2月3日 - )は、樺太生まれの高知県名古屋市在住経験も在る)育ちの落語家。本名は田井 利孝立花オフィス(一時師匠の事務所であった露の五郎兵衛事務所所属)所属、上方落語協会会員。
== 来歴 ==

樺太の生まれで戦後まもなく高知県に引き揚げた。名古屋市立菊里高等学校定時制卒業。高校時代に演芸を知り大須演芸場に通うようになり1966年6月1日2代目露の五郎兵衛(当時は2代目桂小春団治)に入門、桂団丸を名乗る。1967年うめだ花月が初舞台。1968年、師が2代目露乃五郎を襲名した事に伴い、亭号を「露の」に改める。
1993年、4代目立花家千橘を襲名し、1951年2代目立花家花橘が死去して以来、上方では途絶していた亭号「立花家」を復活させた。立花家は従来三遊派に属する色物芸人(立花家橘之助はその一人)の亭号とされていたため、襲名に際しては8代目橘家圓蔵〔2015年に逝去した時点でも前名の月の家円鏡の名の方が通用したほど、一世を風靡した江戸噺家。入門して間もない橘家竹蔵時代、師匠の7代目圓蔵にお伴をする形で戎橋松竹に出演した際、当時桂春坊と名乗っていた2代目五郎兵衛と知り合い、友人となっていた。〕の許諾を得ており、2015年現在圓蔵一門の分家扱いになっている。また同時に大阪の演者としては、4代目大阪屋町人を襲名した。
デビュー当時は名古屋なまりが酷かったが克服している。音曲・舞踊にも通じ、杵屋流長唄松本流御殿舞を長く続けている。
年に一度、10月にワッハホールにて独演会開催。他にも講演会や土佐武寄席も開催。最近の高座では、特に芝居噺に力を入れている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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